主宰 伊東聖鎬
CW Happiness Philosophy 読脳 開発者
CW Happiness Life コミュニティ 主宰
社会人生研究家 人研究家
NPO法人 自分文化-安住村 代表
Cw Happiness Life コミュニティ「親と子の会」 代表
読脳アカデミー・CWインターナショナルスクール 学長
1947年 京都に生まれる。
1960年(12歳)小学6年生で国籍による過酷ないじめを受け、入水自殺を図るも生き還ったことをきっかけに「自分はなぜ生まれ、生きるのか」を掴むための人生をスタートさせる。
個を認めず、画一的な教育を押し付ける親や教師に抵抗し、高校時代に単身上京、働きながら高校へ通う。
1966年(19歳) 人と社会を知るため「30歳までに100の地域で100の仕事」を目標に、全国放浪の旅へ出る。
1974年(26歳) 姪の知的障がいをきっかけに医療の世界に入り、いろいろな療法を学ぶも、患者不在の医療に疑問をもち、独自の人間探究をスタートする。
1975年(27歳) 医療者対象セミナー開始。
1984年(36歳)医師、歯科医師対象セミナーを全国展開。
1985年(37歳) 一般対象の活動をスタート。
「子育て」「親子」「夫婦」「家族」「結婚」「離婚」「男と女」「登校拒否」「引きこもり」「仕事」「人間関係」「生き方」「人生」「病気・症状」「老後」「末期」等、さまざまなテーマで行き詰っている人達とのコミュニケーションの場を作り、全国各地で講演やセミナーを開催する。
活動を続ける中で人が直面するさまざまな悩み、問題、また病気や症状は、「自分本来の生き方から外れている―幸せではない」という脳からのサインであり、抜け出すための答えは本人の脳にあるということを掴み、自分らしく幸せに生きるための哲学とシステム「CW Happiness Philosophy」、そして脳の情報を読み出す「読脳法」を開発。
育児、子育て分野においては、「親と子の会」を全国各地でスタート。人のスタートである赤ちゃんの脳の情報を知ることは「CW Happiness Philosophy読脳」の開発に大きなヒントを与えた。
2011年(63歳) 草の根的に行なってきた活動をさらに展開するため、特定非営利活動法人 自分文化-安住村 内閣府認証取得。
2016年(68歳) 2011年に開設したYouTube読脳チャンネル(これまで2000本配信)をきっかけに海外からの講演要請が増え、それに応えて海外セミナーもスタート。
2017年(69歳 ) 自分本来の生き方を求めている人に、指導、協力を行なえる人材育成を目的に読脳アカデミー・CWインターナショナルスクール開校。
「自分の脳の情報の上で自分らしく幸せに生きる-CWハピネスライフ」を実現したい人への協力のため、さまざまな分野において「CW Happiness Philosophy読脳」の指導を再開し、そんな人達がつながり、自分らしく生きていくことができる空間-CW Happiness Life Communityの実現に寄与するための活動を、全国各地、世界において本格的にスタートする。
伊東聖鎬プロフィール をクリック
CW Happiness Life コミュニティ「親と子の会」代表の伊東聖鎬です。
私は終戦を迎えた2年後、京都に生まれました。 両親は戦前、韓国から日本に渡ってきました。 戦後の混乱期の中、姉と私、二人の妹を育てるのは大変な苦労があったと思います。 私の両親だけでなく、日本中が生きることに必死な時代でした。
やがて高度経済成長期に入り、社会全体が経済的な豊かさを求め出しました。 中卒の若者たちが金の卵ともてはやされ、その後は学歴が重視されるようになりました。 高学歴、そして有名企業へというレールがしかれ、誰もかれもが競ってそれをめざす。 そんな時代の中で小学生、中学生へと成長していった私は、ずっと生きづらさを感じていました。
親に「勉強しろ、大学へ行け」と言われても、私達在日韓国人には就職の道は閉ざされていたのです。 それなのに、何のために勉強するのか、何のために大学へ行くのか、分かりませんでした。 そんな葛藤の中で、親に疑問を投げかけても答えられず、ただ親の考えや価値観を押し付けられるだけでした。 ほとんどの在日韓国人の家庭では、そうだったと思います。 親の言うことはことごとく、なぜ? どうして? 納得できない! 受け入れられない! ということばかりでした。
私は抵抗し続けました。 そうしないと自分は潰されてしまうと感じていたからです。 両親は反抗期だと言っていましたが、私は反抗する気持ちは全くありませんでした。 ただ、当然に自分の考えを述べていただけです。
「自分は何のために勉強するのか、何のために進学する必要があるのか、いったい自分はこれからどう生きればいいのか。それを見つけることが先だろう!」といくら訴えても「そんなことは考えなくてもいい、ともかく勉強しろ」の一点張り、そんな時代でした。
それは学校の教師も同じでした。 そして、周りの級友達は疑問も持たず、親や教師に言われたとおり勉強するのです。
それは自分放棄だ。 そんなことをしたら自分を見失ってしまう。 絶対後悔する。 自分らしく生きるためにどうしたらいいのかを探し出す方が先だろう。 いくら訴えても、誰も耳を傾けませんでした。19199歳の時、自分らしく生きる道を求めて「100の地域で100の仕事をする」を目的に全国放浪に出ました。
19歳(1966年)の時、自分らしく生きる道を求めて「100の地域で100の仕事をする」を目的に全国放浪に出ました。 そんな放浪の中で、自分らしく生きるためにどうしたらいいのか、ということが分かってきました。 それは、全国各地でどこの馬の骨とも知れない私は、筆舌に尽くし難いほどの親切にたくさん遇ったのです。 いろいろな人と生身でぶつかっていくということの大切さを知ったのです。 そんな人との関りを通して、納得できる生き方のヒントを与えてもらいました。
放浪の途中、最愛の姉に娘が生まれました。 私にとっては初めての姪です。 大変愛らしいその子に知的障害があると分かったのは、2歳頃でした。
自分らしく生きたいと求めていた私は、誰だって求めれば自分らしく生きれると考え、それを周りの人たちにも訴えていました。 しかし、それができないという人間もいるということを姪を通して知りました。 「自分が姪を何とかしなければ」と考えた私は、放浪の旅にひと区切りをつけ、医療の世界に入ることを決めました。
26歳(1974年)鍼灸学校に入学し、在学中にリンパマッサージの創始者である紺野義雄先生の研究所にスタッフとして入所しました。(リンパマッサージは紺野義雄先生の登録商標です。) その後、自然医学理論ー玄米菜食、血液浄化で有名な森下敬一博士のお茶の水クリニックの物療科でスタッフとして入所しました。
また、その頃日本ではまだカイロプラクティックという言葉はなじみがなく、あまり知られていない時期でしたが、アメリカから帰国したカイロプラクティックドクター塩川満章氏の主宰するスクールに1期生として入学しました。
医療の世界に入り、現代医学、現代医療で良くならない難治な病気や症状の人にたくさん出会いました。 どんな治療を施してもいい結果が出ないという病気や症状の人はどうすればいいのか、というのが私のテーマでしたから、いろいろな療法を実践的に学びました。 しかし、それらの療法では結果が得られず納得できませんでした。 そんな私は、既存の医学知識、医療技術で良くならない難治な病気や症状に対してどうしたらいいのかと、探究し続けなければならなくなりました。
そして、「目の前のその人に応えるには、その人の情報を的確に読み出す以外にない」という結論に至りました。 それで開発したのが、『脳の情報を読む』という読脳法でした。 読脳法は「求めている人の脳の中には求めている答えがある」その情報を読み出し、その情報に従って行なうことで結果が得られるのです。
読脳により、人と向かい合うことで分かってきたことは、現代医学、現代医療で良くならない難治な病気・症状は、自分らしく生きていない、自分がどう生きたらいいのか分からない結果として起こっているということでした。
32歳の時、医師、歯科医師その他の医療者を対象に、講演とセミナーで読脳法を指導することをスタートしました。
その後、医療者以外の一般の人に対しても指導を始めました。 37歳の時です。
赤ちゃんや幼児のお母さんと関わるようになったのは、医療者対象セミナーに受講していた一人の助産師から相談されたことがきっかけでした。 それは「母乳マッサージをやっても治せない乳腺炎のお母さんに、どうケアすればいいのか分からない」という相談でした。 それを解決するためには、まずはお母さん達のことを知る必要があると考え、私は授乳中の母親とコミュニケーションする場を作りました。 (詳細は活動の歩みをご覧ください)
それがきっかけで、育児や子育てに悩むお母さん達とコミュニケーションする会をスタートし、全国各地で開催するようになりました。 多くのお母さん達と関わる中で分かったことは、授乳中、育児中のお母さんは、「自分らしく生きていない、どう生きていいか分からない」という状態でわが子と関わり、悩んだり、困ったりしているということでした。 つまり、自分自身の問題を抱えていました。 乳腺炎もそんな状態の結果、起こっていたのです。
現代医学、現代医療で良くならない難治な病気・症状と、子育てに行き詰っているお母さんの原因は同じだったということでした。 「自分らしく生きていない、今の自分の生き方に納得していない、でもどう生きればいいのか分からない」 それが根本の原因だったのです。
そんなことが原因の人は、病気や子育てに悩んでいる人だけではありませんでした。 夫婦、親子、家族、小学生、中学生、高校生、大学生、サラリーマン、管理職、経営者、仕事、人間関係、老後、末期等々、私はあらゆる年代の人とさまざまなテーマでコミュニケーションの場を作っていきました。 参加者は誰もが、悩んでいる、行き詰っているという人達でした。 その人達もやはり、「自分らしく生きていない、どう生きればいいのか分からない」ということが悩みの根底にあったのです。 そして、悩み、行き詰っているのは、「自分らしく生きたいということを求めているサイン」だということが、彼らとコミュニケーションしていく中で分かったのです。 本人は自覚していなくても、本人の脳が訴えているのです。
そんな人はどうすればいいのか? サイン(悩みや行き詰まり)が出ているのなら、サインをテーマにして、自分で自分の脳の情報を読めるようになり、自分で答えを見つけ出せるようになればいいと考え、指導を始めたのです。 なぜなら、体も生き方も脳の中に情報があるからです。
40年にわたり多くの人の悩み、行き詰まりに協力、研究してきた中で、より人生全体を通した的確なアドバイスやアイデアの提供ができるようになりました。
そんな読脳法を、自分らしく生きたいと求めても分からないという人に指導することが自分の役目だと考えるようになり、現在は日本そして海外でも求めている人を対象に講演やセミナー、スクールを開催しています。
70半ばを過ぎ、私の人生を振り返れば、それは小学生の頃から感じていた生きづらさ、納得できない思いから始まった「自分の納得できる生き方」の探求でした。 その頃から自分の納得というものが、自分の中にあると感じていました。 そして、自分の中にある納得を探求していけば、自分にとって自然で当たり前の生き方ができる。 そんな自分として生きていける空間は自分で作っていくものだ、と考えるようになりました。 私は中学時代からそれを理想郷と言っていました。
理想郷は自分の中にあるのです。 誰もがもっているのです。 それぞれが自分の理想郷を考え出し、作っていくのです。 そんな人同士が協力し合えば、それぞれが納得でき自分らしく生きていける理想のコミュニティができると思います。
現代は、一人ひとりの中にある納得や自分らしく生きるということを認め、協力し合うという社会にはなっていません。 それは日本だけでなく、世界においても同様だと思います。 自分の納得できる自分らしい生き方は、自分の脳の情報が読めなければ分からないのです。 だからこそ、それを必要とする世界中の人に読脳法を指導したいのです。
これまでも、これからも私の人生の目的は一つです。 私の中にある納得できる自分らしい生き方を貫くことです。
STAFF 栗原雅代
NPO法人 自分文化-安住村 Staff
Cw Happiness Life コミュニティ「親と子の会」 担当
1961年生まれ、佐賀県出身。
1歳半の息子の子育てに悩み、親子心中を考えるほど追い詰められた時「親と子の会」を知り、伊東聖鎬に出会う。
「親と子の会」で学ぶ中、世話人の助産師の協力を得てマターナルケア(産前産後の母子のケア)を始める。
その後、伊東聖鎬が指導する「女の幸せと自立」を求める活動に参加する。
グループの仲間と共に都内で「女の幸せと自立」の実践の場として、サロンを運営する。
1999年 伊東聖鎬が六本木に研究所兼治療所を開設するのを機にスタッフとして参画する。
2004年 医療者対象セミナー再開にあたり、事務局スタッフ業務に携わる。
さまざまな分野で「CW Happiness Philosophy読脳」の指導を行なう企画が進む中、人のスタートである重要な時期の赤ちゃん、幼児分野を担当する。
2019年 赤ちゃん、幼児と母親の実態を知ろうと、保育士資格を取り、保育園やベビーシッター、産後ヘルパーを始める。
2024年 保育園や家庭において母親、父親達の現状を知り、「CW Happiness Philosophy読脳」が本当に必要であり、重要だという確信を持つ。
栗原雅代プロフィール をクリック
はじめまして。
「CW Happiness Life コミュニティ 親と子の会」担当の栗原雅代です。
子育て中のお母さんやお父さんが、子育ての悩みや行き詰まりをきっかけに、夫婦の問題や自分自身の生き方の問題に気づき、本来の自分らしい生き方を自分で掴めるよう、学びの場の提供と協力を行なう活動をしています。
親がそんな生き方をしていることが、わが子が自分らしく育つためのベースであり、一番重要なことだということを、私は30年前に自分の子育ての悩みを通して知りました。
そのことが、現在の活動につながっています。
当時、私は1歳半の長男の子育てに悩み、親子心中を考えるほど追い詰められていました。
初めての子だったこともあり、分からないことだらけで、生まれてすぐから私は長男に振り回されていました。
母子同室だったため生まれた日から夜泣きに悩まされ、それは半年以上続きました。
その後も、アトピー、乳腺炎、噛みつき、イヤイヤ期、幼稚園に行きたがらない、他の子と上手く関われない…等々、年齢とともに悩みは増え、次第に長男のことがかわいく思えなくなり、ついついイライラをぶつけたり、息子を責めたり否定する言葉を言ってしまうようになりました。
こんなこと言いたくない、言ってはいけないと思っても、感情を抑えることができず、後悔して自分を責める。
そんな毎日で、子育てをするのがつらくてたまりませんでした。
「このままでは虐待をしてしまうんじゃないか!そんなかわいそうなことをするくらいなら、一緒に死のう」とまで、思いつめるようになっていきました。
育児雑誌や育児書を読み漁り、保健師や助産師さんに相談したり、医師や小児心理学のカウンセラーにも相談しましたが、悩みは解決しませんでした。
つらい子育ては長男が4歳過ぎまで続きました。
そこから抜け出すきっかけを得たのは、次男を出産し授乳をしている頃でした。
桶谷式母乳マッサージの母乳相談室に定期的に通い、助産師の斎藤悦子さんからマッサージを受けていました。
ある日「おっぱいがずいぶん固いけれど、何かストレスでもあるの?」と聞かれ、思わず涙ながらに長男の悩みを訴えました。
そこで紹介していただいたのが、悩んでいるお母さんのための「親と子の会」でした。
その会のパンフレットに「あなたの答えがみつかるかもしれません」と書いてありました。
それを読んでハッとしました。
「これまで専門家に相談しても悩みが解決しなかったのは、自分の答えではなかったからだ!」と思いました。
「親と子の会」で指導していたのは伊東聖鎬氏でした。
会を紹介してくれた斎藤さんを初め、何人もの助産師さんが会の運営に関わっていました。
その助産師さん達は、伊東氏が開催している医師、歯科医師等の医療者を対象にしているセミナーの受講者でした。
偶然にも次男を取り上げてくださった助産師の神谷聖子さんも受講されていました。
神谷さんはその後、2007年にNHK番組『プロフェッショナル』でカリスマ助産師と紹介された人です。
そんな縁もあり、助産師さん達を指導している先生なら、この行き詰まりから抜け出せる答えを教えてくれるんじゃないか、という一縷の望みをかけて参加しました。
「親と子の会」で伊東氏から学ぶ中で、夜泣きやアトピー、噛みつき、イヤイヤ期のさまざまな悩みは、息子の脳からのサインだということを知りました。
息子は、いろいろな形でサインを出して私に伝えようとしていたのに、私はそれに気づかず、人から聞いてきたり、雑誌やメディア等の情報でずれた対応をしていたから子育てが上手くいかなかったのです。
大事なのは息子のサインを出している元になっている脳の情報を知ることであり、それを基にした関わりだと分かりました。
そんなことに気づいていく中で、長男はどんどん変わっていきました。
学びの中で大きかったのは、赤ちゃんとはどんな存在なのかを知ったことでした。
赤ちゃんは愛・幸せ100%で生まれ、
存在する意味、理由、必要を100%持っている。
生まれた時、その子の人生において必要な情報はすべて脳にある。
これは、伊東氏がたくさんの赤ちゃんと関わり、赤ちゃんの脳の情報を読むことで分かったことだそうです。
赤ちゃん=人は、すべてそんな存在だということです。
誰もが生まれながらにして、自分の情報が脳にある。
それなら、どう生きれば納得できるのか、どうあるのが自分の満足なのか、自分らしく幸せに生きるにはどうすればいいのか、ということを人に頼ることなく、自分で見つけ出せるはずです。
でも、私は自分の脳の情報に気づかず、親や教師、周りの大人に教えられたまま生きてきました。
自分がどう生きたいのかを主体的に考えることもなく、結婚し、出産しました。
だから、子育ての悩みも人に頼り、納得できる答えが見つからず、行き詰ったのでした。
そんな私に、息子は「それは違う!」というサインを出していたんだということが分かりました。
「息子に問題がある、息子を何とかしなければ」と考えていたけれど、それは間違っていたのです。
母親である私自身の問題であり、どう生きたら自分らしく生きていけるのかを、自分で掴む必要があるのだと気づきました。
「親と子の会」に参加していた他のお母さん達も、似たような状況でした。
伊東氏とコミュニケーションする中で、それぞれが自分の生き方を考えるようになり、必然的に夫婦の在り方を考えるようにもなりました。
そして、それぞれが自分らしく生きていく道を模索する方向性が持てるようになってきました。
そんな中、「女の幸せと自立」を実践したいというお母さん達が集まり、伊東氏の協力を得て、実践の場としてのサロンを運営することになり、私もその活動に参加することにしました。
その後、伊東氏の活動が本格化していく中で、スタッフとしても関わるようになりました。
伊東氏の活動の目的は、子育てに限らず、赤ちゃんから死の末期までのすべての年代の、人生におけるあらゆるテーマで悩み行き詰っている人に、それをきっかけに自分の脳に答えがあるということに気づき、その情報を自分で読み出せるようになって、自分らしく幸せに生きていけるように協力、指導することです。
そのために、ワークショップや勉強会、セミナー、合宿、スクールを開催してこられました。
その事務局スタッフとして関わる中で、自分自身がこの活動と関わるきっかけになった「子育て」の分野を自分が担当したいと考えるようになりました。
2019年、私は赤ちゃん、幼児と関わるために保育園で働くことにしました。
赤ちゃんや幼児、そしてお母さん、お父さんの現状を知りたいと思ったのです。
さらに保育士資格も取り、保育園だけでなく産後ヘルパーやベビーシッターしての活動も始めました。
それから約5年経ちました。
伊東氏と出会ってから、約30年です。
ようやく自分がやるべきことが見えてきました。
それは、60歳を過ぎ、人生とは? 人が幸せに生きるには? 自分らしく満足、納得して生きるには? ということが少し見えてきたからかもしれません。
同時に、赤ちゃん・幼児期の関りが、その子の人生においてどれだけ重要なのかを強く実感するようになりました。
そして、「一人ひとりの尊厳を大事にして子ども達と関わる」ということが、私のテーマになりました。
一人ひとりの子が存在する意味、理由、必要をもっています。
それは、その子の尊厳そのものです。
それをいろいろな形で発信しています。
その発信をキャッチし的確に応えることが、尊厳を大事にするということであり、そんな関りの中で、その子は自分らしく育っていくのだと思います。
親はもちろん、子供たちと関わる人が本来やるべきことは、これ以外ないと私は考えています。
でも、尊厳を大事にするという考えが、家庭にも保育園にも社会にもありません。
保育園でも「尊厳を大事にする」という言葉は使いますが、意味が違うのです。
それは、「CW Happiness Philosophy読脳」という考えを知らないのですから、仕方がないことだと思います。
だからこそ、伝えないといけない。
赤ちゃんや幼児を育てているお母さんやお父さんに伝えることが、重要だと思います。
わが子のこれからの人生にとって最も大事な時期であり、お母さんやお父さんにとっても自分の生き方を振り返り、自分らしく生きることをスタートするチャンスの時期でもあります。
私自身、まだまだ道半ばではありますが、たった一度の自分の人生ですから納得して自分らしく生きていきたいです。
そして、同じ思いのお母さんやお父さん達に協力することが自分のやることだと思っています。
そんな自分をめざして、読脳アカデミー・CWインターナショナルスクールでも学んでいます。